仮説なき調査

2015.09.16 コラム
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何か新しいアイデアを考える上で、
僕たちは、情報の収集整理に拘っています。

収集と整理の精度が高いほうが、そこから生まれたアイデアを形にしていく時の質もスピードも上がりますし、
実行フェーズにおける、奥歯を噛みしめて耐える時の踏ん張りに差が出てくると考えているからです。

 

では、収集と整理さえしっかりとできていれば、
実行に耐えうる、良いアイデアが華麗に生まれてくるかと言えばそんな甘いわけはなく、
ただ単にデータを収集し整理したものを眺めているだけでは、
味の無くなった、スルメを噛みしめ続けるかの如く、
終わりの無い迷路にはまる事が往々にしてあるわけです。

なぜその迷路にはまってしまうのかを一時期良く考えていました。

気づいてしまえば何の変哲もない当たり前の話しなのですが、
収集と整理をしたデータとの向き合う準備がないからだと思うようになりました。

何の準備かと言えば、

「世の中に対しての大胆な仮説を持っておく」
という準備ではないかと思うのです。

そしてその仮説は、特定の会議で生まれるというよりも、
日常の中で、芽が出て、特定の条件で発芽するような事が多いということに
最近感じています。

ホンダにはイノベーション創発の仕掛けとして、
「ワイガヤ」という考え方を重視していると本で読んだ事がありますが、
すごく大事なんだなぁと最近、強く思うようになりました。

 

よって、
収集と整理には引続きこだわっていきたいのですが、
大胆な仮説の芽が出て、発芽されされやすい状態を作るための、
一定のインプットができている超少数メンバーだけで、
社会動向が今後どう変化していくのかについて妄想だけして盛り上がる場があると
結構良いかもしれないと考えるようになりここ最近はその時間を確保するようにしています。

 

一時期よく考えていた、
仮説無き調査からは、生まれるものも生まれない。
つまり、仮説なき調査は不毛(になるケースが多々ある)という話でした。

 

 

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